
納期目安:
06月02日頃のお届け予定です。
決済方法が、クレジット、代金引換の場合に限ります。その他の決済方法の場合はこちらをご確認ください。
※土・日・祝日の注文の場合や在庫状況によって、商品のお届けにお時間をいただく場合がございます。
不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
閉じる「我君不遊有深意」漢詩文の落款
閉じる仙台藩医・木村寿禎の落款
閉じる断層画像写真
閉じる明石女御の出産(御帳台の中)復元模型
閉じる左が源氏の君、右が明石の君
閉じる右が紫の上、左が女三の宮の模型
閉じる明石の君・復元人形
オススメ度 4.5点
現在、4005件のレビューが投稿されています。
自筆「源氏物語」の「若菜(わかな)上」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。現在の今上天皇と系譜がつながっている。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。。巣鴨絵図。世界伝記大事典 日本・朝鮮・中国編 全6冊 桑原武夫。山鹿芳弼編『時針儀便覧 日時計附 全』明治18年 永田芳次郎刊 元袋付 西洋時計の使用法 明治時代和本 畳物一舗。新古文林 第2巻第11号 明治39 国木田独歩田山花袋曲亭馬琴正岡芸陽齊藤渓舟 文芸雑誌 検) 戦前明治大正古書和書古文書古本PJ。国語 教え方叢書(教え方双書) 本巻全12冊+別巻1~6 不揃い18冊。滑稽二日酔。百人一首新抄。七新薬。大毘盧遮那成佛神変加持経巻第四 検索 梵字 梵語 仏教 和本 唐本 曼荼羅 古文書。大久保絵図。復刻版 海表叢書 全6冊 新村出監。11冊セット 全州李氏孝寧大君靖孝公派世譜 主巻 世蹟篇 古本 古書 朝鮮 韓国 氏族 資料 族譜 漢文 李朝。三宝絵詞〈上〉 (1982年) (古典文庫〈64〉) 現代思潮社 源 為憲※イタミ有。写生獣図画。古代雛形 廣益紋帳 古代模様 風祥堂 高貴な家紋。小説神髓。傷寒論集成。佐藤栄作日記 全6冊 佐藤栄作 伊藤隆監修。H22-025 古事類苑 姓名部 吉川弘文館 シミ汚れあり。。1941年 戦時 画報 検索⇒ 支那 中華民国 汪精衛 蒋介石 関東軍閥 憲兵 国民党 督軍 生写真 革命党 満洲 総督府 張学良 古建築 満鉄 租借地。長命衛生論。J09-042 古事類苑 動物部 吉川弘文館 シミあり。源氏の君の兄・朱雀院(前朱雀天皇)は六条院の行幸直後から体調を崩し出家しようとするが、後見人の居ない愛娘・女三宮の将来が心配で躊躇している。婿選びに思い悩んだ末、朱雀院は源氏の君に女三の宮を託すことを決心、源氏も承諾した。年が明けて二十三日、源氏の四十の賀が盛大に行われる。二月に女三宮が六条院に降嫁した。翌年三月には明石の女御(源氏の娘)が東宮(皇太子・後の帝)の男御子を出産。それからしばらくして、突然冷泉帝が東宮(後の帝)に譲位した。。H22-020 古事類苑 産業部 二 吉川弘文館 シミあり。。医療新書。漢文評釈 島村瀧三郎(島村抱月) 東京専門学校(早稲田大学) 漢文学漢学詩学道教儒教 検) 戦前明治大正古書和書古文書古本PI。晋王叔和編輯 明沈際飛重訂 脈経図説 2巻揃 木版画 多数 検索 和本 唐本 明版 古代医学 中国古書 医書。鑑賞中国の古典 全24冊。英文 坪内雄(坪内逍遥) 東京専門学校(早稲田大学) 検) 戦前明治大正古書和書古文書古本PI。漢文古籍 西湖記 咸豊7年 釣月山房 復刻 検索⇒唐本 漢籍 支那 玉扣 善本 線装 木版刷 木刻本 筒子頁 殿本 套印 宣紙 白棉紙 清朝 掃葉山房。後漢書 全11冊 吉川忠夫訓注。浄瑠璃本 義仲勲功記。宋史要籍彙編 資治通鑑長編 附拾補。中原淳一木版画絵ハガキ 5枚。合類増補家伝預薬集。1721年『画筌 六』林守篤 雑類 絵入り 古書 和本 相撲 楠木正成・上杉謙信・武田信玄・太閤秀吉 享保6年 ②E。日本州名解。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 古文書。宇垣一成日記 全3冊。J09-040 古事類苑 植物部 一 吉川弘文館 シミあり。
軽々しく、なとかく渡したてまつりたまふ。
こなたに渡りてこそ見たてまつりたまはめ」
とのたまへは、
「いと、うたて。思ひくまなき御ことかな。女におはしまさむにたに、
あなたにて見たてまつりたまはむこそよくはへらめ。
まして男は、限りなしと聞こえさすれと、心やすくおほえたまふを。
たは(戯)れにても、かやうにへた(隔)てかましきこと、
なさかしかりき(聞)こえさせ給(たまひ)そ」
と聞(きこ)え・・・・《たまふ。》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。
《「源氏物語」若菜(わかな)・上の巻》
《明石女御(春宮・皇太子の正室)男子を安産にてご出産》
《源氏の君、明石の君と皇太子と明石の女御の皇子を大切にする紫の上について話す》
《(源氏の君)「若宮(皇太子と明石の女御の皇子)はお目覚めですか。
わずかの間も、お目にかからないと恋しいものですね」
と申しあげなさると、御息所(明石女御)はご返事も申されないので、御方(明石の君)が
(明石の君)「対(紫の上)へお渡し申されました」
とお申しあげになる。》・・・・・
(源氏の君)「それは不都合な。あちらでこの若宮(皇太子と明石の女御の皇子)を
独り占めにしてさしあげ、まるで懐から離さずお世話しては、好きこのんで着物もみなよごして、
しきりに脱ぎ替えてばかりいるようです。どうしてそう分別なくお渡し申されるのですか。
こちらに来て、お世話申されるがよいのに」
と仰せになるので、御方(明石の君)は、
(明石の君)「まあ、あまりな。お察しのないお言葉ですこと。
たとえ女御子でいらっしゃいましたとしても、あちら様(紫の上)で
お世話申しあそばすのがよろしゅうございましょう。
なおさらのこと、男御子では、どんなに貴いご身分(将来の天皇)と申しましても、
心安くお世話申せるものと存じあげておりますのに。
ご冗談にも、このように隔てがましいことを、変にお気をおまわしになって
お申しあげなさいますな」
と申し・・・・《あげなさる》
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。
禁裏(京都御所)で書かれたものです。
《New Herbs Part One(若菜・上)》
"You must not let her monopolize it.
She is always carrying it around and so she is
always having to change to dry clothes.
She can come here if she wants to see it."
"You are being unkind, and I do not think you have
thought things through very carefully.
I would have no doubts at all about letting her take a little girl off with her,
and we can be much bolder with little boys even when they are princes.
Is it your wise view that the two of them should be kept apart?"
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《若菜・上》
源氏:“小皇子醒了没有?我一刻不,便想念他。”
明石女御默默不答。明石夫人从帷屏后面答道:
“小皇子紫夫人抱去了。”
源氏:“太不成了。成天价在那,
小皇子被一人独占了。一直抱在中,不肯放手,
弄得衣服都湿透,一件一件地更。什率地抱去?
叫到里来看才是。”明石夫人答道:“
呀,太不体人了!即使是个皇女,由育也最妥善,
何况是个皇子。身固然高无比,但在那不是很可放心的?
然是笑,也不要分苛刻地冷酷的呀!
中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」若菜・上の巻の末尾(原本番号108-B)の押印。
左下の四角の大きな印は仙台・伊達家の家紋の印(竹に雀)
家紋の上2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)の印。冬姫は内大臣・通誠の養女。
冬姫は通称。正式な名は伊達貞子。2つとも貞子の印。左端の写真は「若菜・上の巻」末尾の拡大写真。
左上端の細長い落款は、「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」の漢詩文の印。漢詩文の右の2つの印のうち、下は出雲藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)の印。方子の上の印は方子の娘・幾千姫(玉映)の印。右上の印は仙台藩医・木村寿禎の落款。右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(出品した自筆の「断層画像写真」(若菜・上の巻)MRI 34―88B
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
【天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行】
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫・宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫・著)
「源氏物語」「若菜・上の巻」絵図、茶室関係資料
下記写真1番目は、「源氏物語屏風(若菜・上)」東京国立博物館所蔵
猫が開けた御簾(みす)の隙間から、柏木が女三宮を目撃する「若菜・上」の有名な場面
上から2番目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版・№71 『源氏物語』特集)
上から3番目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。。画本図貨。李王職編『李王家美術館陳列日本美術品図録』(6冊セット=第3,4,6~9輯)昭和11-18年 李王職刊。六根清浄太祓松風抄。道三翁養生物語。哲学綱要 完 金子筑水(金子馬治) 東京専門学校(早稲田大学) 検)美学 ニーチェベルグソン戦前明治大正古書和書古文書古本PI。怪文書「犬養内閣の寿命は長くとも特別議会まで!!」犬養毅 五・一五事件 野崎政助 渡辺正雄 選挙妨害 パンフレット 古文書【24-0326-7】。●狗傷考。丹氏察病学。生田耕作評論集成 全4冊。心性実験録(一名西学辨解)。通俗三才諸神本紀。中華文化通志 全101冊 中文 中華文化通志編委会編。月与雪花の仮宅 江戸古美術 版画 春画 銕勢菴主人署 骨董 コレクター放出美品。つつましく賢い女性、明石の上 「源氏物語の女君がきものを着た。。改正増補江戸大節用海内蔵。鵬斎先生詩鈔。名将真田幸村漫遊画帖 付忍術勇士 大正5 写真画帖 漫画紙芝居 検) 徳川家康忍者戦前明治大正古書和書古文書古本PI。★A37和本明治期ぐらい御朱印帳「奉納経」1冊/三河三弘法/知多新四国ほか/豊橋市/佐野かつ/古書古文書/手書き/印/木版摺り。(古本)ジャイアンツなんでも大記録 小学館入門百科シリーズ94 小学館 HK6324 19840915発行。小児養育心得 脾肝薬王圓能書。年中行事歌合。H22-017 古事類苑 方技部 吉川弘文館 外箱シミ汚れあり。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。また、各巻ごとの書かれた年については不明。従って、応永五年とは、書き始めの年である。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門」を称する。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。外箱シミ汚れあり。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。
出品した「源氏物語」は「若菜(わかな)上」の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。若菜の巻名は、「小松原末のよはひに引かれてや野辺の若菜も年をつむべき」に因む。。花洛往古図。隅田川向島絵図。井上光貞著作集 全11冊 井上光貞。岩波講座 アジア・太平洋戦争 全8冊。江戸、明治時代の草双紙。H22-018 古事類苑 楽舞部 二 吉川弘文館 外箱シミ汚れあり。一方、かねて女三宮の降嫁を切望していた柏木(内大臣の息子)は、その後も未練を残していた。外箱シミ汚れあり。三月末、六条院の蹴鞠(けまり)の催しに訪れた柏木は、飛び出してきた唐猫の仕業で上がった御簾の奥にいる女三宮の姿を垣間見てしまう。それ以降、柏木はますます女三宮への思いを募らせていく。源氏の君、39歳から41歳までを描いている。
自筆上部の「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」若菜(わかな)上の巻》
「若菜・上」の巻は英文で「New Herbs Part One」と表記されます。
《原本上部に「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という、中国の皇帝が行幸しないのは莫大な行幸に費やすことを控える徳を讃えた「白氏文集」の漢詩文の落款が押捺されており、この漢詩文は「若菜・上」の原文中から引用されている。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)
「自筆原本」
自筆下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。
自筆上部のタテ長の印は、「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」は、
中国の皇帝が行幸しないのは莫大な行幸に費やすことを控える徳を讃えた漢詩文の落款。
反対側の印は仙台藩医・木村寿禎の落款
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。
《「源氏物語」若菜・上(わかな)の巻》
《原本上部に「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という若菜・上の原文中に引用されている漢詩の落款が押捺されている。》
「いとあやしや。あなたに此(この)宮をらう(領)したてまつりて、
ふところ(懐)をさらにはな(放)たすもてあつか(扱)ひつゝ、
人やりならす衣も皆濡らして、脱きかへかちなめる。。陳鴻寿 行書冊 書道法帖 検索⇒ 唐本漢籍 支那 朱印譜 法書 金石篆刻 拓片 呉昌碩 原拓本 石刻 董其昌 黄庭堅 趙子昴 珂羅版 玻璃版 米元章。漢洋病名対照録。三輪壽雪(第11代三輪休雪)自筆葉書32枚+書簡1通(真筆保証品)萩焼の人間国宝 鬼萩茶碗。茶飲夜話 風聞雉子声(三代将軍家光公一代記)。珍術さんげ袋。今戸箕輪浅草絵図。郡中制法・市中制法・町役心得條目・村庄屋心得條目。(古本)図解わかる住宅ローン 2009-2010年版 浅井秀一 新星出版社 AA8017 20090625発行。定本 良寛全集 全3冊 内山知也他編。美濃奇観 二冊揃 美本 彩色絵入 岐阜 名所図会 和本 古書 古文書 古典籍 版本 写本 漢籍 唐本 江戸 中国。神字彙 全 岩崎長世 慶応元年 神代文字 阿比留草文 神道神社国学漢字語学国平田篤胤本居宣長 江戸時代 検) 日本神話古事記古文書古書和書PJ。画銭譜。Jg-034/東京大学教授 金子武雄編 文部省検定済教科書 夏 涼しき夕べ 葉鶏頭 田園の居 残果 かんにん/L5/61203。漢字かなまじり文 3冊揃 大渓洗耳 昭和58 書道拓本楷書臨書唐本行書写経折帖法書仏教御経写本習字小野道風中国中華王羲之見本帖PJ。●極上和本YM4834●江戸明治和本等>〈倭規〉女用章 倭散し 進藤秀 宝暦3年刊 小川源兵衛ほか板 稀書女筆手本 往来物。通俗養生訓蒙。J02-039 大系漢字明解 高田忠周 述 富山房。平康頼『宝物集』(全三巻揃 合本一冊)正保五年刊 江戸時代和本 説話集。外桜田永田町絵図。江戸砂子 拾遺・新撰共。三島由紀夫戯曲全集 三島由紀夫。九想詩諺解。春風帖。東京全図 附横浜図。H22-021 古事類苑 宗教部 一 吉川弘文館。駿河台小川町絵図。LL-9824 ■送料込■ 仏法双六 全 江戸期 証果増進之図 木版画 仏教 和書 古書 古文書 98×73cm /くJYら。彩色石版画譜『婦女鑑』明治29年 渡辺忠久刊 明治時代和本。江戸前期 寛文3年 三教指帰註刪補 7冊揃 検索 仏教 和本 唐本 古文書 経本 中国古書 古文書。新撰日本字典和書 上下巻セット 初版/石川鴻齋/博文館。養生訓。御江戸番町絵図。日本の神々 全13冊 谷川健一編。源平古状揃證註。消毒新論。佐々木善三郎『岩手県東磐井郡渋民村さつじん事けん一ツとせぶし』大正9年刊(宮城県志田郡)俗謡 大正時代の数え歌 ひとつとせ節。開校百年誌 大生院小学校 百周年記念協賛会。f240502027〇彩色木版画 広重 富士三十六景 伊勢二見か浦 三重県伊勢市 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。養生辨。小学唱歌集。華厳遊心法界記。文苑英華 全6冊 中文 宋・李〓他編。後文後集 上下。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 小笠原 書状 古文書。Ab-113/古事記全釋(終) 著者/植松安 大塚龍夫 昭和9年3月15日5版発行 不朽社書店 古事記地図 大和地方 他/L1/61202。諸国道中金の草鞋のうち「奥州南部」。幕府領会津藩預所永井野村古文書●明治39年 勲章佩用心得・勲章年金受領者心得等 3冊と手紙 大沼郡永井野村 現在の福島県会津美里町 240530。J09-039 古事類苑 樂舞部 一 吉川弘文館。東洞先生遺稿。若きいのちの日記 (1969年) (銀河ノンフィクション〈4〉)※イタミ有。嬰児論。梅原猛著作集 全20冊 梅原猛。1942年 大東亜戦争 戦況画報 検索⇒支那軍 中華民国 汪精衛 蒋介石 関東軍閥 国民党軍 生写真 革命党 満洲 総督府 張学良 古建築 日中戦争。夜光乃珠(櫨栽培)。坪井竹類図譜。ははのつとめ。関敬吾著作集 全9冊 関敬吾。松尾芭蕉他著 柳居編『俳諧七部集 炭俵/阿羅野/曠野集員外』文化5年 諧仙堂蔵板/野田治兵衛他刊 江戸時代和本 俳書 連歌 俳句。味匠 あじのたくみ 伝承1000年の料理 四季の魚介 春のねた 講談社 管理番号1416。1940年 中華民国29年 古文書 検索⇒朱印 為替 手形 銀票号 支票据 水印 小切手 支那 紙幣 洋行 台湾 朝鮮 印紙 銭荘 満洲帝国 租界 租借地。唐欧陽 九成宮醴泉銘 見開き24面 拓本。疲労と精神衛生 (1968年) 桐原葆見博士喜寿記念刊行会 桐原 葆見※イタミ有。H22-023 古事類苑 人部 一 吉川弘文館 シミあり。。森鴎外全集 全9冊 筑摩全集類聚 森鴎外。東印度諸島の怪奇と芸術 宮武辰夫著 昭和12年 署名入り。本草原始。朝永振一郎著作集 全15冊 朝永振一郎。大日本道中細見絵図。J09-038 古事類苑 官位部二 吉川弘文館 外箱シミ汚れあり。 落款の「讃」の元になるその原文の個所には、
「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。撮影後、展示のために再表装をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。。史学綱要 完 後藤寅之助(後藤宙外) 東京専門学校(早稲田大学) 歴史学日本史 検) 戦前明治大正古書和書古文書古本PI。御江戸大名小路絵図。稀版 古版 選擇本願念佛集 上下2冊 検索 仏教 五山版 宋版 和本 唐本 古文書。稀少 江戸前期 寛文8年初刷 妙法蓮華経 観世音菩薩 普門品 一冊揃 木版画 検索 仏教 古典会 和本 唐本 経本 お経 仏絵 仏画 古文書。農稼業事 後編共。鍼灸重宝記。剰24p) 四国八十八ヶ所本尊道中記 全 巻物 二巻 箱付 明治 天保 古文書 和書 (1130R11029)。延喜式。J09-041 古事類苑 植物部 二 金石部 吉川弘文館 シミあり。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。母は後水尾天皇皇女女二宮。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。
源氏物 Yunsh wy 典的 Jngdin de不昧公 公卿 肉筆 保障 保証 真筆 真筆 親筆 古筆 本物保証 本物保障 室町 掛軸 掛け軸 自筆 天皇 茶道具 宗鑑 良寛 伝来 歌仙 極め 極札 極め札 鑑定