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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
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大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵(断簡)を出品 | ||||
商品説明(来歴) | 大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の旧所蔵である。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。 | |||
漢詩文 | 原本自筆上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という。外箱シミ汚れあり。これは、中国の皇帝が譲位した場合、高位の高官も職を致仕(退官)するという「白氏文集」の漢詩文に由来するものです。「若菜・下」では在位十八年の冷泉帝が譲位し、これにつれて太政大臣が致仕する。原文には、「かしこき帝の君も位を去りたまひぬるに、年ふかき身の冠(かふふり)を懸(か)けむ」と記されており、「白氏文集」の漢詩文からの引用である。紫式部は「若菜・下の巻」を書くに際し、漢詩を熟読したうえで原文を書いていることがわかります。また、原文中の上部に「篆書(てんしょ)体」の落款を入れたのは、仙台藩の藩主の正室・仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)、通称伊達貞子か出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)のいずれかと推定されております。 | |||
漢詩の落款の意味 | 原本上部の漢詩の落款は、「讃」と称されるもので、古来、掛軸の書画に第三者がお褒めの言葉を書き込むもので元々は自筆でした。。初学人身窮理。1941年 写真多数 汪精衛 画報 検索⇒ 支那 中華民国 蒋介石 関東軍閥 憲兵 国民党軍 生写真 革命党 満洲帝国 総督府 張学良 古建築 租借地。息軒遺稿。大航海時代叢書 1期+2期+エクストラ 全42冊。2冊セット 全州李氏洛州齊派世譜 古本 古書 朝鮮 韓国 氏族 資料 族譜 漢文 李朝。【古文書】群馬県高崎・鷹司松平家「輪笙院」直筆法華経巻物/文政13年/池田信成。ラテンアメリカの文学 全18冊 綜合社編。正字玉篇大全。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 正徳 四月 古文書。農業自得。『文官講義録編綴』法制時報社/大正時代 参考書 教科書 教育史 和本 公務員試験【24-0412-108】。H22-015 古事類苑 政治部 一 吉川弘文館。1759年 和本 良薬 馬療弁解 宝暦9年 和本 古書 ②E。武道講習会講演集・昭和7年/大日本武徳会本部/武道史・越智茂/今日の海軍・武富邦茂/満洲国の建設と王道政治・矢野仁一/国際紛争と国際連盟。●極上和本YM4832●江戸明治和本等>〈今様文章〉御所女筆 延宝8年 女筆手本 稀書往来物 上巻題簽欠 稀書(他に所蔵無し)。ランボー全集 平井啓之他訳。心理学 完 金子筑水(金子馬治) 東京専門学校(早稲田大学) 検)美学フロイトアドラーユング戦前明治大正古書和書古文書古本PI。美辞学 島村抱月 東京専門学校(早稲田大学) 検) 戦前明治大正古書和書古文書古本PI。立原道造全集 全6冊 立原道造。H22-016 古事類苑 武技部 吉川弘文館 外箱シミ汚れあり。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。 | |||
断層(MRI)写真 | 従来、日本の古美術の鑑定の際の分析・解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡が中心です。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。本物を見分けるための欧米の進んだ分析・解析技術を見ることができます。 | |||
寸法 | 「源氏物語」自筆の大きさ タテ21.8センチ ヨコ12.8センチ。額縁の大きさは タテ37.0センチ ヨコ28.0センチです。額縁は新品です。 | |||
「源氏物語」の自筆について | 1・筆跡の分析について 国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。 一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。。画本図貨。李王職編『李王家美術館陳列日本美術品図録』(6冊セット=第3,4,6~9輯)昭和11-18年 李王職刊。六根清浄太祓松風抄。道三翁養生物語。哲学綱要 完 金子筑水(金子馬治) 東京専門学校(早稲田大学) 検)美学 ニーチェベルグソン戦前明治大正古書和書古文書古本PI。怪文書「犬養内閣の寿命は長くとも特別議会まで!!」犬養毅 五・一五事件 野崎政助 渡辺正雄 選挙妨害 パンフレット 古文書【24-0326-7】。●狗傷考。丹氏察病学。生田耕作評論集成 全4冊。心性実験録(一名西学辨解)。通俗三才諸神本紀。中華文化通志 全101冊 中文 中華文化通志編委会編。月与雪花の仮宅 江戸古美術 版画 春画 銕勢菴主人署 骨董 コレクター放出美品。英文評釈 完 増田藤之助述 東京専門学校(早稲田大学) 英文学英語アメリカ文学イギリス文学 検)坪内逍遥 戦前明治大正古書和書古文書古本PI。音羽絵図。東京全図。H22-024 古事類苑 人部 二 吉川弘文館 シミあり。。童子千字文。1942年 戦時 画報 検索⇒支那 中華民国 汪精衛 蒋介石 関東軍閥 憲兵 国民党軍 生写真 革命党 満洲 総督府 張学良 古建築 租借地 日中戦争。教育学 完 立花銑三郎 東京専門学校(早稲田大学) 検)夏目漱石ダーヴィン種の起源 尋常小学校勅語 戦前明治大正古書和書古文書古本PI。小倉百首摘要抄 ベストセラーランキングです近くの売り場の商品カスタマーレビューオススメ度 4.3点 現在、4013件のレビューが投稿されています。 |
京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「若菜(わかな)下」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。現在の今上天皇と系譜がつながっている。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。また、各巻ごとの書かれた年については不明。従って、応永五年とは、書き始めの年である。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。外箱シミ汚れあり。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門」を称する。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。。花洛往古図。隅田川向島絵図。井上光貞著作集 全11冊 井上光貞。岩波講座 アジア・太平洋戦争 全8冊。江戸、明治時代の草双紙。H22-018 古事類苑 楽舞部 二 吉川弘文館 外箱シミ汚れあり。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。外箱シミ汚れあり。
出品した「源氏物語」は「若菜(わかな)下」の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。若菜・下の巻名は朱雀院(前朱雀天皇)の五十の御賀があり、源氏の君はその賀宴を「このたび足りたまはん年、若菜など調(てう)じてや」に因む。柏木は朱雀院(前朱雀天皇)皇女で源氏の君の正室に降嫁した女三の宮へのかなえられない恋に煩悶する。四年の歳月が経過。冷泉天皇は在位十八年にして東宮に譲位し今上天皇として即位した。翌年、朱雀院(前朱雀天皇)と女三の宮との対面を企画し五十の賀宴が催されることになった。源氏の君は六条院の女たちによる「女楽」による演奏の宴を開いた。柏木は、女三の宮の姉・女二の宮を正室に迎えたが、女三の宮への未練を断ち切れずにいる。葵祭りの前日、柏木は源氏の君の不在時に小侍従の手引きにより女三の宮と逢瀬をした。夏のある日、源氏の君は女三の宮の体調不良の原因がご懐妊と知り、不審を抱いた源氏の君が柏木から女三の宮あての手紙から柏木と女三の宮の密事が発覚する。(女三の宮の子がのちの薫の君)源氏の君、41歳から47歳までを描いている。
自筆上部の「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
「若菜・下」の巻は英文で「New Herbs Part Two」と表記されます。
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という。これは、中国の皇帝が譲位した場合、高位の高官も職を致仕(退官)するという「白氏文集」の漢詩文に由来している。。陳鴻寿 行書冊 書道法帖 検索⇒ 唐本漢籍 支那 朱印譜 法書 金石篆刻 拓片 呉昌碩 原拓本 石刻 董其昌 黄庭堅 趙子昴 珂羅版 玻璃版 米元章。漢洋病名対照録。三輪壽雪(第11代三輪休雪)自筆葉書32枚+書簡1通(真筆保証品)萩焼の人間国宝 鬼萩茶碗。茶飲夜話 風聞雉子声(三代将軍家光公一代記)。珍術さんげ袋。今戸箕輪浅草絵図。郡中制法・市中制法・町役心得條目・村庄屋心得條目。(古本)図解わかる住宅ローン 2009-2010年版 浅井秀一 新星出版社 AA8017 20090625発行。定本 良寛全集 全3冊 内山知也他編。美濃奇観 二冊揃 美本 彩色絵入 岐阜 名所図会 和本 古書 古文書 古典籍 版本 写本 漢籍 唐本 江戸 中国。神字彙 全 岩崎長世 慶応元年 神代文字 阿比留草文 神道神社国学漢字語学国平田篤胤本居宣長 江戸時代 検) 日本神話古事記古文書古書和書PJ。画銭譜。Jg-034/東京大学教授 金子武雄編 文部省検定済教科書 夏 涼しき夕べ 葉鶏頭 田園の居 残果 かんにん/L5/61203。漢字かなまじり文 3冊揃 大渓洗耳 昭和58 書道拓本楷書臨書唐本行書写経折帖法書仏教御経写本習字小野道風中国中華王羲之見本帖PJ。●極上和本YM4834●江戸明治和本等>〈倭規〉女用章 倭散し 進藤秀 宝暦3年刊 小川源兵衛ほか板 稀書女筆手本 往来物。通俗養生訓蒙。J02-039 大系漢字明解 高田忠周 述 富山房。平康頼『宝物集』(全三巻揃 合本一冊)正保五年刊 江戸時代和本 説話集。外桜田永田町絵図。江戸砂子 拾遺・新撰共。三島由紀夫戯曲全集 三島由紀夫。九想詩諺解。春風帖。東京全図 附横浜図。H22-021 古事類苑 宗教部 一 吉川弘文館。駿河台小川町絵図。LL-9824 ■送料込■ 仏法双六 全 江戸期 証果増進之図 木版画 仏教 和書 古書 古文書 98×73cm /くJYら。彩色石版画譜『婦女鑑』明治29年 渡辺忠久刊 明治時代和本。江戸前期 寛文3年 三教指帰註刪補 7冊揃 検索 仏教 和本 唐本 古文書 経本 中国古書 古文書。新撰日本字典和書 上下巻セット 初版/石川鴻齋/博文館。養生訓。御江戸番町絵図。日本の神々 全13冊 谷川健一編。源平古状揃證註。消毒新論。佐々木善三郎『岩手県東磐井郡渋民村さつじん事けん一ツとせぶし』大正9年刊(宮城県志田郡)俗謡 大正時代の数え歌 ひとつとせ節。開校百年誌 大生院小学校 百周年記念協賛会。f240502027〇彩色木版画 広重 富士三十六景 伊勢二見か浦 三重県伊勢市 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。養生辨。小学唱歌集。華厳遊心法界記。文苑英華 全6冊 中文 宋・李〓他編。後文後集 上下。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 小笠原 書状 古文書。Ab-113/古事記全釋(終) 著者/植松安 大塚龍夫 昭和9年3月15日5版発行 不朽社書店 古事記地図 大和地方 他/L1/61202。諸国道中金の草鞋のうち「奥州南部」。幕府領会津藩預所永井野村古文書●明治39年 勲章佩用心得・勲章年金受領者心得等 3冊と手紙 大沼郡永井野村 現在の福島県会津美里町 240530。J09-039 古事類苑 樂舞部 一 吉川弘文館。東洞先生遺稿。若きいのちの日記 (1969年) (銀河ノンフィクション〈4〉)※イタミ有。嬰児論。梅原猛著作集 全20冊 梅原猛。1942年 大東亜戦争 戦況画報 検索⇒支那軍 中華民国 汪精衛 蒋介石 関東軍閥 国民党軍 生写真 革命党 満洲 総督府 張学良 古建築 日中戦争。夜光乃珠(櫨栽培)。坪井竹類図譜。ははのつとめ。関敬吾著作集 全9冊 関敬吾。松尾芭蕉他著 柳居編『俳諧七部集 炭俵/阿羅野/曠野集員外』文化5年 諧仙堂蔵板/野田治兵衛他刊 江戸時代和本 俳書 連歌 俳句。味匠 あじのたくみ 伝承1000年の料理 四季の魚介 春のねた 講談社 管理番号1416。1940年 中華民国29年 古文書 検索⇒朱印 為替 手形 銀票号 支票据 水印 小切手 支那 紙幣 洋行 台湾 朝鮮 印紙 銭荘 満洲帝国 租界 租借地。唐欧陽 九成宮醴泉銘 見開き24面 拓本。疲労と精神衛生 (1968年) 桐原葆見博士喜寿記念刊行会 桐原 葆見※イタミ有。H22-023 古事類苑 人部 一 吉川弘文館 シミあり。。森鴎外全集 全9冊 筑摩全集類聚 森鴎外。東印度諸島の怪奇と芸術 宮武辰夫著 昭和12年 署名入り。本草原始。朝永振一郎著作集 全15冊 朝永振一郎。大日本道中細見絵図。J09-038 古事類苑 官位部二 吉川弘文館 外箱シミ汚れあり。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。 特に出雲・松江藩などの茶道の盛んな大名家の所蔵する自筆などに「讃」が付され、後に自筆に代わり、石刻による「漢詩」の篆書が「讃」として用いられました。 「茶事」は、「ヨーロッパの晩餐会(ばんさんかい)」とも言われます。晩餐会では、「ワインを楽しむために行われる」ところも似ています。とりわけ、茶室に入って行うことは、床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)することです。茶道では「掛け軸は最高のごちそう」といわれております。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。「讃」の中に有名な白楽天の漢詩を単純に落款として入れたのではなく、紫式部が原本の中に白楽天の漢詩を読み込んでいることを知ったうえで漢詩を選んでおります。 落款の「讃」の元になるその原文の個所には、
「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。撮影後、展示のために再表装をしております。。史学綱要 完 後藤寅之助(後藤宙外) 東京専門学校(早稲田大学) 歴史学日本史 検) 戦前明治大正古書和書古文書古本PI。御江戸大名小路絵図。稀版 古版 選擇本願念佛集 上下2冊 検索 仏教 五山版 宋版 和本 唐本 古文書。稀少 江戸前期 寛文8年初刷 妙法蓮華経 観世音菩薩 普門品 一冊揃 木版画 検索 仏教 古典会 和本 唐本 経本 お経 仏絵 仏画 古文書。農稼業事 後編共。鍼灸重宝記。剰24p) 四国八十八ヶ所本尊道中記 全 巻物 二巻 箱付 明治 天保 古文書 和書 (1130R11029)。延喜式。J09-041 古事類苑 植物部 二 金石部 吉川弘文館 シミあり。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。母は後水尾天皇皇女女二宮。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。外箱シミ汚れあり。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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