
納期目安:
06月11日頃のお届け予定です。
決済方法が、クレジット、代金引換の場合に限ります。その他の決済方法の場合はこちらをご確認ください。
※土・日・祝日の注文の場合や在庫状況によって、商品のお届けにお時間をいただく場合がございます。
不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
閉じる「懸其所仕之車置諸廟」漢詩文の落款
閉じる仙台藩医・木村寿禎の落款
閉じる断層画像写真
閉じる女三の宮の降嫁、復元模型
閉じる源氏の君と紫の上、右下は今上帝の皇后
閉じる源氏の君と朧月夜の君(弘徽殿大后の妹)
閉じる左が朝顔の君、右が源氏の君
オススメ度 4.7点
現在、4017件のレビューが投稿されています。
京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「若菜(わかな)下」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。現在の今上天皇と系譜がつながっている。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。また、各巻ごとの書かれた年については不明。外箱シミ汚れあり。従って、応永五年とは、書き始めの年である。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。。花洛往古図。隅田川向島絵図。井上光貞著作集 全11冊 井上光貞。岩波講座 アジア・太平洋戦争 全8冊。江戸、明治時代の草双紙。H22-018 古事類苑 楽舞部 二 吉川弘文館 外箱シミ汚れあり。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。外箱シミ汚れあり。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。
出品した「源氏物語」は「若菜(わかな)下」の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。若菜・下の巻名は朱雀院(前朱雀天皇)の五十の御賀があり、源氏の君はその賀宴を「このたび足りたまはん年、若菜など調(てう)じてや」に因む。柏木は朱雀院(前朱雀天皇)皇女で源氏の君の正室に降嫁した女三の宮へのかなえられない恋に煩悶する。四年の歳月が経過。冷泉天皇は在位十八年にして東宮に譲位し今上天皇として即位した。翌年、朱雀院(前朱雀天皇)と女三の宮との対面を企画し五十の賀宴が催されることになった。源氏の君は六条院の女たちによる「女楽」による演奏の宴を開いた。柏木は、女三の宮の姉・女二の宮を正室に迎えたが、女三の宮への未練を断ち切れずにいる。葵祭りの前日、柏木は源氏の君の不在時に小侍従の手引きにより女三の宮と逢瀬をした。夏のある日、源氏の君は女三の宮の体調不良の原因がご懐妊と知り、不審を抱いた源氏の君が柏木から女三の宮あての手紙から柏木と女三の宮の密事が発覚する。(女三の宮の子がのちの薫の君)源氏の君、41歳から47歳までを描いている。
自筆上部の「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。。陳鴻寿 行書冊 書道法帖 検索⇒ 唐本漢籍 支那 朱印譜 法書 金石篆刻 拓片 呉昌碩 原拓本 石刻 董其昌 黄庭堅 趙子昴 珂羅版 玻璃版 米元章。漢洋病名対照録。三輪壽雪(第11代三輪休雪)自筆葉書32枚+書簡1通(真筆保証品)萩焼の人間国宝 鬼萩茶碗。茶飲夜話 風聞雉子声(三代将軍家光公一代記)。珍術さんげ袋。今戸箕輪浅草絵図。郡中制法・市中制法・町役心得條目・村庄屋心得條目。(古本)図解わかる住宅ローン 2009-2010年版 浅井秀一 新星出版社 AA8017 20090625発行。定本 良寛全集 全3冊 内山知也他編。美濃奇観 二冊揃 美本 彩色絵入 岐阜 名所図会 和本 古書 古文書 古典籍 版本 写本 漢籍 唐本 江戸 中国。神字彙 全 岩崎長世 慶応元年 神代文字 阿比留草文 神道神社国学漢字語学国平田篤胤本居宣長 江戸時代 検) 日本神話古事記古文書古書和書PJ。画銭譜。Jg-034/東京大学教授 金子武雄編 文部省検定済教科書 夏 涼しき夕べ 葉鶏頭 田園の居 残果 かんにん/L5/61203。漢字かなまじり文 3冊揃 大渓洗耳 昭和58 書道拓本楷書臨書唐本行書写経折帖法書仏教御経写本習字小野道風中国中華王羲之見本帖PJ。●極上和本YM4834●江戸明治和本等>〈倭規〉女用章 倭散し 進藤秀 宝暦3年刊 小川源兵衛ほか板 稀書女筆手本 往来物。通俗養生訓蒙。J02-039 大系漢字明解 高田忠周 述 富山房。平康頼『宝物集』(全三巻揃 合本一冊)正保五年刊 江戸時代和本 説話集。外桜田永田町絵図。江戸砂子 拾遺・新撰共。三島由紀夫戯曲全集 三島由紀夫。九想詩諺解。春風帖。東京全図 附横浜図。H22-021 古事類苑 宗教部 一 吉川弘文館。駿河台小川町絵図。LL-9824 ■送料込■ 仏法双六 全 江戸期 証果増進之図 木版画 仏教 和書 古書 古文書 98×73cm /くJYら。彩色石版画譜『婦女鑑』明治29年 渡辺忠久刊 明治時代和本。江戸前期 寛文3年 三教指帰註刪補 7冊揃 検索 仏教 和本 唐本 古文書 経本 中国古書 古文書。新撰日本字典和書 上下巻セット 初版/石川鴻齋/博文館。養生訓。御江戸番町絵図。日本の神々 全13冊 谷川健一編。源平古状揃證註。消毒新論。佐々木善三郎『岩手県東磐井郡渋民村さつじん事けん一ツとせぶし』大正9年刊(宮城県志田郡)俗謡 大正時代の数え歌 ひとつとせ節。開校百年誌 大生院小学校 百周年記念協賛会。f240502027〇彩色木版画 広重 富士三十六景 伊勢二見か浦 三重県伊勢市 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。養生辨。小学唱歌集。華厳遊心法界記。文苑英華 全6冊 中文 宋・李〓他編。後文後集 上下。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 小笠原 書状 古文書。Ab-113/古事記全釋(終) 著者/植松安 大塚龍夫 昭和9年3月15日5版発行 不朽社書店 古事記地図 大和地方 他/L1/61202。諸国道中金の草鞋のうち「奥州南部」。幕府領会津藩預所永井野村古文書●明治39年 勲章佩用心得・勲章年金受領者心得等 3冊と手紙 大沼郡永井野村 現在の福島県会津美里町 240530。J09-039 古事類苑 樂舞部 一 吉川弘文館。東洞先生遺稿。若きいのちの日記 (1969年) (銀河ノンフィクション〈4〉)※イタミ有。嬰児論。梅原猛著作集 全20冊 梅原猛。1942年 大東亜戦争 戦況画報 検索⇒支那軍 中華民国 汪精衛 蒋介石 関東軍閥 国民党軍 生写真 革命党 満洲 総督府 張学良 古建築 日中戦争。夜光乃珠(櫨栽培)。坪井竹類図譜。ははのつとめ。関敬吾著作集 全9冊 関敬吾。松尾芭蕉他著 柳居編『俳諧七部集 炭俵/阿羅野/曠野集員外』文化5年 諧仙堂蔵板/野田治兵衛他刊 江戸時代和本 俳書 連歌 俳句。味匠 あじのたくみ 伝承1000年の料理 四季の魚介 春のねた 講談社 管理番号1416。1940年 中華民国29年 古文書 検索⇒朱印 為替 手形 銀票号 支票据 水印 小切手 支那 紙幣 洋行 台湾 朝鮮 印紙 銭荘 満洲帝国 租界 租借地。唐欧陽 九成宮醴泉銘 見開き24面 拓本。疲労と精神衛生 (1968年) 桐原葆見博士喜寿記念刊行会 桐原 葆見※イタミ有。H22-023 古事類苑 人部 一 吉川弘文館 シミあり。。森鴎外全集 全9冊 筑摩全集類聚 森鴎外。東印度諸島の怪奇と芸術 宮武辰夫著 昭和12年 署名入り。本草原始。朝永振一郎著作集 全15冊 朝永振一郎。大日本道中細見絵図。J09-038 古事類苑 官位部二 吉川弘文館 外箱シミ汚れあり。年号の左の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)。左の写真は、桐壺の巻の奥付。左大臣から関白に昇進した近衛基熙(もとひろ)公の花押。上下2段の花押のうち、上の印は。出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)、下の印は仙台藩医・木村寿禎の落款(印譜)
(出品した自筆の「断層画像写真」(若菜・下の巻)MRI 35―91B
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
【天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行】
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫・宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫・著)
「源氏物語」「若菜・下の巻」絵図、茶室関係資料
下記写真1番目は、「源氏物語屏風(若菜・下)」(源氏物語絵巻)
朱雀院(前朱雀天皇)の五十の賀を祝い女三の宮、紫の上、明石女御が演奏する「女楽」の有名な場面
上の女性三人のうち右から紫の上は和琴、明石の女御は箏、女三の宮の琴。
手前の後ろ姿で琵琶を弾いているのが明石の君
上から2番目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版・№71 『源氏物語』特集)
上から3番目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。撮影後、展示のために再表装をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。外箱シミ汚れあり。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。母は後水尾天皇皇女女二宮。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。
源氏物 Yunsh wy 典的 Jngdin de不昧公 公卿 肉筆 保障 保証 真筆 真筆 親筆 古筆 本物保証 本物保障 室町 掛軸 掛け軸 自筆 天皇 茶道具 宗鑑 良寛 伝来 歌仙 極め 極札 極め札 鑑定